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66-67●雲辺寺ヶ原史跡広場[雲辺寺から別格16番萩原寺]
雲辺寺山(海抜九一一メートル)の北西山麓に広がる丘陵地帯を雲辺寺ヶ原と称している約四百ヘクタールにおよぶこの台地は約百二十万年前(新世代更新の時代)地殻の大変動によって、山の中腹から削り剥がれた岩礫が堆積してできた洪績層台地である。それ以来灌木の密生する緑の丘として住民に親しまれてきた。 明治二十八年、日清戦争に勝利を得た日本は、富国強兵を国是として陸軍の増強を図った。翌二十九年、善通寺に陸軍第十一師団が設立され初代師団長として乃木希典中将が赴任した。 明治三十三年には、この雲辺寺ヶ原が第十一師団の山砲射撃場の候補地として挙げられ、住民と再三にわたる交渉の結果、翌三十四年には陸軍用地となり以来四十五年の間、山砲の射撃場として砲声が谷間にこだました。この広場は昭和初期の頃、建設さた監的所(イ)であり同期に建設された(ロ)(ハ)の監的所の三地点で、砲弾の着弾地点を観測していた。また各監的所と発射地点は電話で結ばれていた。 昭和二十年太平洋戦争の集結と、とものこの軍用地は、大蔵省の所管となり農林省の指示のもと、一部は民有地となり残地は町有地に移管され今日に至る。かって、四十有余年の間砲声の轟いていた台地は今また静寂と平和を取り戻し緑の台地に生まれ変って、住民の憩いの丘となり、今や観光の拠点となっている。 [2010年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2011-01-27 22:15
| 66-67
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