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23-24●満徳寺の由来●[牟岐]
当寺は行基菩薩(奈良時代)の開祖であり、元万鶴山願成寺と唱えた。応永十九年(一四二七)増□僧正が中興をなした。金剛峰寺に属しているが、中本寺の寺格がある。牟岐町の中では最も由緒ある寺院であり、真言寺院は全てその末寺である。本尊は虚空蔵菩薩で、その他に弘法大師・薬師如来・聖観世音菩薩・十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・不動明王を祭っている。 慶長十三年(一六0八)国主蜂須賀家政公巡国の砌、摩尼山溝徳寺虚空蔵院談議所と寺名を改めるように仰せつけられ、一反九畝十八歩を与えられ尚、橡幕雪洞の御紋を拝領した。当寺は家政公より別当(長官)に任ぜられ、地域全ての神社を任されていた。境内にある松は、蜂須賀家政公が牟岐町の宝と申し、又は牟岐町の道しるべと言われ、植樹祭を行ったとされている。その樹齢は三八0年以上である。 平成十五年五月吉日 満徳寺三十八代住職 中村英龍 敬白 ※砌=みぎり 尚=なお [2010年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2011-01-25 11:52
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