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35-36●筆の丞(改め伝蔵) ジョン・万次郎ら漂流出航の浦●[宇佐漁港の東側にある「宇佐しおかぜ公園」]
宇佐の漁師で船頭の筆の丞、弟の重助と五右衛門、隣家の寅右衛門、幡多郡中ノ浜(土佐清水市)から働きにきていた万次郎ら五人は、この浦の西浜から延縄漁(はえなわりょう)に出た。 翌々日足摺沖で操業中突然強風が吹き出し嵐となり、帆は破れ櫂は折れて船は海上をさまよい、数日後無人島(鳥島)に漂着した。海岸の岩穴で寝起きし、鳥を捕らえ、海草を食い、岩間の水で喉を潤しながら余命をつなぐうち、同年五月餓死寸前のところをアメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイのオワフ島で手厚い保護を受けて暮らした。その後筆の丞は伝蔵と名を改め、重助は長い療養の末病死する。 一方、少年万次郎はホイット・フィルド船長に可愛がられ捕鯨船に乗組み各国廻り、また、アメリカ本土で新しい知識を修得し、カリホルニアの金山へ行き帰国の資金を稼いでオワフに戻ってきた。 寅右衛門は現地に残ったが、伝蔵、五右衛門、万次郎の三人は嘉永四(一八五一)年一月便船で琉球に上陸し、薩摩藩や長崎奉行所で取調べを受け、翌年の七月漸く十二年振りに土佐へ帰り着いた。伝蔵兄弟は漁や他国往来を禁じられ、藩から扶持を受けて神妙に暮らしたが、万次郎は一躍幕府の役人に取立てられ、その新知識は、日本の開国に向けて大きく貢献した。 数奇な運命に翻弄された伝蔵たちであったが、この浦から船出した漂流者によって、近代日本の夜明けをもたらした。 地球村33番地TOSACITY[2010年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2010-08-12 19:15
| 35-36
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