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6- ●「お四国」歩いて、はじめてわかった お大師さまの有難さと人の情〝徒歩巡拝友の会の歩み〟●[6番安楽寺山門]
本会の会長、谷正氏は、昭和五十一年、大阪弘友会の横田英治氏(特任大先達)にさそわれて、はじめて徒歩巡拝に参加しました。谷正氏は、「人間とことん苦労すると一寸の事でも人の情を受けると感動して涙が先に出るものです。土用半ばにしての徒歩巡拝は、並大抵のことではありませんでした。━━━台風の上陸で横なぐりの雨風に八時間以上歩きとうした足摺岬への道では、何百メートルごとにガードレールにもたれては休み、雨と汗と涙と土で、どろどろになり、かすかにのこっている気力だけで前にすすみました。 休めば、又前に進む元気がでてくる。これも『大師さまのおかげ』です。━━━四十五番岩屋寺を出て真弓峠を登りきった時、もう体心も、どうしようもなく、疲れきっていました。その時のやさしそうな『おばあちゃん』から『キャンデーを一本』頂きました。それを口にした、その時、涙が出て止まらず、お札の言葉もそこそこに山を下りました。その『おばあちゃん』から頂いた『キャンデー一本』が、私の人生を変えました。」と本会を作る計画は、この時代からはじまった、と当時をしのばれている。 車で四十分のところが歩いて一日もかかり、昔は、土であった道路が今は、アスファルトで続く、足の裏は、水ぶくれで一歩一歩が目から火の0出る痛さであった。徒歩巡拝でつらいことは、他の宿、食事、トイレ、とそれから重い荷物が肩にくいこむことであった。 これらの体験をもとに、ある程度の高齢者や、女性でも参加できる徒歩巡拝を目ざし二年半がかりで計画をねった。一、無理のない(宿泊、食事、トイレ)コース作り。一、荷物は車で運ぶ。一、経費は実費でその日に、その都度人数で割って集金する。一、不満のある人は、何時帰ってもよい。一、托鉢は、修行の一つで全員で行なう。一、全部歩かないと四国霊場会長からの結願証明書は頂けない。などのとりきめをして、昭和五十四年に第一回四国霊場(高野山)徒歩巡拝を実行した。北海道から九州まで日本全国各地から老若男女五十八名が集まり、千四百キロメートルの道を五回にわけて、三年がかりで、高野山まで入れて合計実徒歩は、五十一日間で結願した。谷正氏は「お四国を徒歩で歩きとうす、ということは、並大抵のことではありませんでしたが歩いてはじめて、お大師さまの有難さと人の情が体中にしみ込みました。それから一番よかったことは、深いきずなの友達ができたことです。━━━。」と語られている。 徒歩巡拝全国友の会事務局 徳島県三好郡池田町(池田観光バス内) 平成十三年十二月二十日 四国第六番安楽寺 貫主 畠田季峰 敬白 [2003年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2010-03-15 17:49
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