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60-61●銀納義民記念碑文の説明
(西条市大久保 極楽寺境内) 『堅忍不跋の心を以て為すときは事成らずと云うことなし。そもそも大保木山、中奥山、東の川山、西の川山、黒瀬山の五ヶ山農民の年貢米、未納未進となり住民の至難なるより、慶長八年身を犠牲に供し、銀納受所に祈願せんと衆議一決し、五十有年間何回となく嘆願するも聞き届けなく、遂に時の領主一柳監物殿に請願中、大保木山庄屋左衛門、中奥山治兵衛その倅三名外百姓十一名、承応二年八月入獄され遂に三年二月一八日死刑に処せられ非命の死を遂げしは、悲嘆の極みあらずや。然るに平左衛門はその後、横峰蔵王権現に祈願し感応により死刑を免れ生存せしを以て萬治元年二月外十名と供に総代となり、西条鴨川に於いて駕訴せしに聞届けられ同四月八日銀五貫三百五十八勺三分一厘に定められ、明治八年に及ぶまで二百十八年間当地の人民鼓腹の楽をなせしも、銀納を訴えた義民右十七名の功勤に因るもの。感嘆の余を以て其の万分の一の報恩の為、碑を建て略誌する事斯くの如し』 明治二十三年五月 大保木村 工藤弥五郎 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:39
| 60-61
12年みちぞい岩屋寺
45-45●お蔭様でと感じることがありますか 2012年[岩屋寺納経所] [45番岩屋寺納経所で配布の文書] お詣り御苦労さまです あなたは、「お蔭様で」と感じることがありますか? ○ほんの一分間でも顔を水につけていると、日頃の呼吸の大切さがわかります。断水すると、たちまちうろたえます。停電になると、家中にあらゆる不都合が起こってきます。 ○わたくしたちの日常生活は、一瞬の休みもなく、大自然や、家族は勿論のこと、顔の見えない沢山の人々の働きの力に支えられて、生かされています。 ○自分自身が生きてゆくことも、どこかで、他人様の役に立ち感謝されていると実感できれば嬉しいですね。 ○弘法大師(空海、八三五、六二寂)は、父母、為政者、生きとし生けるもの、仏教の四つの恩に報いるよう努めることが、生きることである、と再三説いておられます。 ○「お納経」の揮毫・朱印は、美術作品や趣味のスタンプ収集ではありません。お詣り下さったあなたご自身が心をこめて御本尊に納められたお経を、確かにお取り次ぎさせていただきます、との住職の受け取り証印です。 平成廿四年一月 四国四十五番海岸山岩屋寺 [2012年 四国遍路みちぞい物語] #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:32
| 45-46
45-45●あなたの楽しみは何ですか?[岩屋寺納経所]
[45番岩屋寺納経所で配布の文書] お詣り御苦労さまです。 あなたの楽しみは何ですか? ○楽しくなければ生きている意味がない、と言えるのではないですか。 ○楽しければ自ずと心が明るく軽くなり、それはそのまま顔の表情にも表われます。出会った人にも自然とそんな気持ちが伝わってゆきます。 ○その気になれば、楽しみはどんなところにも見つけられます。小さな楽しみをかき集めれば、大きな喜びを味わうこともできるかも知れません。 ○ものの受けとり方・考え方によって、苦しみが楽しみとなることもあります。 ○弘法大師(八三五、六二才寂)は、「同じ水を飲んでも、蛇であれば毒になり、牛であれば乳になる」と言われています。 ○つらく受けとったものを誰もが喜ぶものに替えて返せたら最高ですね。 ○「お納経」の揮毫・朱印は、美術作品や趣味のスタンプ収集ではありません。お詣り下さったあなたご自身が心をこめて御本尊に納められたお経を、確かにお取り次ぎさせていただきます、との住職の受け取り証印です。 平成廿三年一月 四国四十五番海岸山岩屋寺 [2011年 四国遍路みちぞい物語] #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:28
| 45-46
43-44●お釈迦さま最後のおしえ
(愛媛県内子町) 今から約2500年前インド・カピラ王国に生まれたお釈迦さまは、富も位もあり、美しい妃と子供もありながら、全てを捨てて出家されました。その時、お歳は29才といわれています。その後6年の苦行・修行の後、悟りを開かれたのは35才でした。以来45年の間各地を仏教を伝えられました。80才の2月15日、病の床につかれ亡くなられましたが、その時大勢のお弟子さんを前にして次のように語られました。 「私が亡くなった後は、次に云う八つの戒めを自分の師と考え、それを守り精進しなさい。それを守る事によって心安らかな日を送ることができるのだよ」とおしえられました。 一、少欲…人間誰でも「欲望」というものを持っているが、その「欲」に限度をもちそれを制限する事が必要です。たとえば美味しそうだからと云って腹一パイ食べたら苦しむのは自分なのです。腹八分、いや七分目におさえる事、それが少欲です。これは全ての事に対していえる事です。 二、知足…「これで良し」と知る事、認める事そして実行すること。余分なものは足りない所にまわしてあげましょう。「共に生きる」ことが大事なのです。わけあう事が心豊かな人なのです。 三、遠離オンリ…騒がしい処を離れて、静かな処に住む事により、独り自らをみつめる事が大事です。喧噪の地より遠く離れること。パチンコ屋で物事を深く考える事は出来ません。 四、精進ショウジン…休むことなく続ける事が大事です。少水の常に流れる事により硬い石にでも穴をあける事ができるのです。毎日怠りなく続ければ成就するものです。 五、正念ショウネン…安らぎの心を得るには、良い先生、頼りになる先輩友人をもつ事です。その為には常に利害損得を考えない、純粋な気持で対する事が大事なのです。 六、定ジョウ…心を一つに集中する事。坐禅、念仏、唱題など、そのものになりきる事です。これを三昧といいます。澄みきった、濁りのない所に住むことができます。意馬心猿では何も成就できません。 七、智慧チエ…聞・思・修。つまり、耳に聞き、心に思い、身に修すること、実行することによって智慧が身につくのです。思慮のない行為は自分を苦しめるのです。 八、不戯論フケロン…心が乱れるような無意味な議論は、智慧の光をくらくする為にやめるべきです。喋りおわった後の虚しさはどこからくるのでしょうか。反省すべきでしょう。 生まれて死ぬ一度の人生、貧しくとも、豊かでも、短い人生でも、長生きの人生でも問題はどう生きるかなのです。心安らかに生きる事が一番私達の幸せなのです。父と母の因縁が熟して、この世に生を享け、数限りない先人達の智慧を受け、そして生命を永らえる為におおくの生きていた動物、植物の命をいただき、太陽を始めとする天地万物の恵みを受けて、今(この時間)、此処(この場所)に立つ私は宇宙で一人。何と尊いことでしょう。 この尊い存在の私と、同じように又、他の人も尊い存在なのです。 そうわかった時、どう生きるのか答えが貴方の胸にでてくる筈です。 (愛媛内子町 護国山高昌寺 うちこのねはんさん より) #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:26
| 43-44
36-37●四国八十八箇所野宿遍路の心構え[岩不動前の遍路小屋]
◎ごみを落さない、また野宿した時は後片付をする。 ◎規律ある厳正な行動をする。 心の置所 長く歩いていると疲れてきて人間の本性が出てくる。 ここが修行の半ば途中で、色々のお接待やお世話になった事を感謝して歩く。 無財の七施の教えである眼施(優しい眼差しを向ける)、言施(温かくおもいやりの言葉をかける)、心施(思いやりの心を持つ)、といった事を身につけて、雨が降ってつらいとか、風が吹いてつらいと心が迷うようでは修行ではない。しっかり頑張ていく。 雨は農作物を作ってくれる。水は乾いた喉を潤してくれる。有難いことを手を合わせて感謝する。 一滴の水にも天地の恵みがある。雨が降れば手を合わせて、ただひたすら惑う心を捨てて前に進む。 しかし、無理や無謀はいけない。これは修行ではない。正しい修行は自分で自分を苛めて苦しみに耐える事であると思う。 無謀をして怪我をしてもいけない、無理して生命に危険が及んでもいけない。 このような時は思い切って途中で止める。無理や無謀は修行ではない。 このようなことをよく知って歩くことが肝要だ。このことは誰も分からない。自分自身が分かることで、一歩一歩前進して何かを身につけていく。必ず身につくものと信じていく。 ふと道端の草花を見ると、一輪の花は誰も水や肥料をやらない。手入れもなにもしていない。 しかし、時期がくれば一生懸命に大きく成長し、誰も見ていなくても、きれいな花を咲かせ、時期がくれば散っていく。 では我々人間はどうであろう。人が見ていると正しい事をする。見ていなければ悪い事をしてしまう。こんな事ではいけない。このような事を悟りながら一番札所を目指す。 一番を打ったら「逆打ち」であり、大窪寺にお礼参りに行く。人生は色々な事があるが難関は自分自身が打ち砕く。 *苛(イジ)めて #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:24
| 36-37
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