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87-88●弥勒池の由来
(さぬき市大川町) 弥勒とは未来に出現し、釈迦の救いに洩れた衆生を救うという未来仏である。 昔、この池を築く時、弥勒仏(臼石粉、擬灰石)が出土した。これを手厚く●(示すへんに司)り、築提したところ工事は順調に進んだという。 出土した弥勒仏は、仏教禁制の迫害から逃れ、景勝の弥勒台地に隠匿していたものと伝えられ、地元の人々は、●(竹かんむりに馬)く信仰し、今もこれを●(示すへんに司)る。茶臼山の弥勒庵には、香華の絶え間がない。 築造の年は明らかではないが、宝歴五年(1755)の溜池調査では奥上池となっていて、水掛高は、三十七石であったが、有馬●滋の努力によって、文政八年(1825)の砕石からの掛井工事、天保三年(1832)からの拡大修築工事が完成した。おそらくこの時より、弥勒池と改称されたように思われる。 この後、軒原庄蔵による弥勒隧道の石功があり現在貯水量三十七万一千トンで七十四ヘクタールの水田を潤す町内最大の貯水池となっている。 また、三ッ石岩に棲む大蛇が夜毎に谷を渡り、現在のみろく荘の東側通称「蛇の穴」に出没したという伝説がある。 みろく自然公園 大川町 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:45
| 87-88
87-88●弥勒石穴(隧道)
(さぬき市大川町) 文政12年(1828)に完成した弥勒大掛井は、その後漏水が甚だしく、農民は「器あれど盛るに水はなし」の悲嘆をくり返していた。 この惨状を見かねた庄屋軒原庄蔵は、田面の砕石谷より山底の岩盤を堀り抜き、石穴を作り導水する以外に方策なしとみて、その工事を藩に申請、安政二年(1855)ようやく許可をとりつけ、東西双方より昼夜兼業で堀り進めた。しかし、当時のこととてのみとげんのう、燈明にたよる工事は、言語に絶するものがあった。 庄蔵の卓越した技術と努力の甲斐あって、着工後三年目の安政四年十一月、百五間(189米)の石穴は見事貫通した。この偉業により、多くの田畑を干ばつより救済することができた。 みろく自然公園 大川町 文化庁登録有形文化財 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:43
| 87-88
75-76●金毘羅大権現松尾寺略縁起
(香川県琴平町) 金毘羅はインドより飛来した神様です。梵語でクンビーラといい、ヒンズー教の河川を司る女神・ガンガー(ガンジス河を神格化したもの)の乗物であったワニが神格化(仏教の守護神)されたもので、お釈迦さまが王舎城で説法なさるとき、常に守護したとされています。仏教にとりいれられてからは、薬師十二将の随一、金毘羅大将となりましたが、ワニの姿をもち、龍王、海王とよばれて、祈雨や海難よけの神とされていました。 時に大宝年間(701-704)、松尾寺の開祖・神変大菩薩が裏山に登って祈念していたところ、岩窟振動し、中から『我は天竺ゾウズ山に住み、常に仏法を守護したりし金毘羅神なり、汝、この山を開きて仏法を弘むべし、我もまた守護せん』とのお告げがあり、山を象頭山と名付け、金毘羅神を松尾寺の守護神としました。一千三百余年のことです。 以後、その霊験あらたかなることが天下に広まり、天平宝字(762)、孝謙帝は小納言藤原実朝勅使として遣わし、殿堂を建立されました。空海が渡唐に際し、海上安全を祈り、風波の難を逃れたことから、帰朝後、真言宗の道場と定められ、歴代天皇の御崇敬も深くなりました。 江戸時代に入り、本地垂迹説の影響を受けて、金毘羅大権現と称するようになりましたが、讃岐の“こんぴらさん”として、遠近諸国民衆の信仰はますます深くなったのです。 ところが、明治維新を迎え、松尾寺は一山六ヶ院にて金毘羅大権現の祭を司ってきたにもかかわらず、神仏分離の際に排仏毀釈の悲運に遭遇したのです。金毘羅をい金刀比羅と改称、大権現をオオモノヌシノミコトとして官弊社とする暴挙に、六院中五院が排され、仏像仏具ことごとく焼き払われ中、一千二百余年の伝灯を消滅するに忍びず、現在の地に移り、御身体の金毘羅大権現、御本尊の釈迦如来をはじめ一山諸霊像を奉安し、法灯を継承して今日に至っています。 (松尾寺発行平成二十三年辛卯年寶歴より) #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:41
| 75-76
お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ 良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる必要もなく 卑下する必要もない 上もなければ下もない 死ぬ日さえ丁度よい お大師様と二人づれの人生 丁度よくないはずがない 全て仏様 お大師様のおまかせ 有難や 有難や 南無大師遍照金剛 石鎚山真言宗 総本山極楽寺 (正御影供法要並びに副住職入山記念行事パンフ掲載) #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:40
| 60-61
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