四国遍路みちぞい物語
2020-03-21T22:07:20+09:00
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四国遍路を徒歩で巡拝し見つけた物語を公開します。コメントは「遍路生活 野宿生活」へ
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このブログ 消滅が近いらしい 誰か引き取って
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別のブログもあるし、手が回りません、誰か引き取ってくれませんか。
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追加目次2
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目次
5-5●五百羅漢 第5番地蔵寺奥之院
22-23●法院の由来
23-24●御厨人窟ミクロドウ
27-28●震洋とは
36-37●高岡神社(五社)由来記
36-37●四国八十八箇所野宿遍路の心構え
43-44●お釈迦さま最後のおしえ
45-45●あなたの楽しみは何ですか?
45-45●お蔭様で」と感じることがありますか
60-61●銀納義民記念碑文の説明
60-61●丁度よい 極楽寺
75-76●金毘羅大権現松尾寺略縁起
87-88●弥勒石穴(隧道)
87-88●弥勒池の由来
88-1●義経の大阪越
88-1●久米栄左衛門通賢略伝
88-1●森権平愛馬の墓
その他●黒瀧寺 曼荼羅霊場
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●黒瀧寺 曼荼羅霊場
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山岳仏教発祥の地、心洗う静寂の聖地
標高700m余りの黒瀧山の山頂にあり、老松古杉に囲まれた黒瀧寺は、四国霊場二十一番霊場奥の院であり、古くから山岳仏教の修験者の道場として知られている。
三方を絶壁に囲まれ、そこには「三滝・七淵・五剣山」からなる厳しい行場がある。弘法大師が山頂に棲む太龍を封じ込めた竜王淵からは今日も絶え間なく龍が霊水(赤井水)を吹き上げている。
元禄時代、快弁上人が寺の最興を祈って始めた黒瀧まつりが毎年八月十七日に催され、この夜柴燈大護摩や黒瀧寺踊りが夜更けまで続けられる。
厳かにそして華やかに繰り広げられる黒瀧まつり
山岳仏教の発祥の地・黒瀧寺は、戦国時代長曽我部元親の兵火に会い焼失しました。その後、元禄時代快弁上人により再建されました。以来毎年八月十七日の夜柴燈大護摩が焚かれ、再建を祝う黒瀧寺踊りや打ち上げ花火が盛大に行われます。]]>
88-1●森権平愛馬の墓
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88-1
(東かがわ市白鳥町)
白鳥町指定史跡 昭和五十五年二月二十六日指定
この墓は、森権平の愛馬の紅○鴾毛の墓である。
天正十二年(1584)7月十九日、このあたりで土佐の長宗我部元親と仙石秀久が戦ったとき、仙石の武将森権平はよく戦い数々の戦功を立てたが、愛馬の脚が深く深田に踏み込み、進退の自由を失い敵に討ち取られた。馬も共に傷つき倒れたので人々は愛馬を哀れみ、この地に葬って墓を建てたものである。
白鳥町教育委員会]]>
88-1●久米栄左衛門通賢略伝
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2012-06-18T10:48:20+09:00
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88-1
(東かがわ引田馬宿)
江戸時代後期の軍事技術者、土木家で引田町馬宿に生まれる。
船頭喜兵衛の子で大阪の間(ハザマ)重冨に師事して天文暦学、測量、数理を学び若くして海防の重要性を唱え二十七歳のとき藩命により最初の讃岐地図をつくる。
招かれ高松藩士となり身を挺して建白書を出し軍事のほか坂出塩田開発砂糖製造保護別子銅山の改修など藩の財政改革に功があった。輪●(隧ののぎへんを火に)●(リンスイハイ)銃、鎗間銃(ソウカンジュウ)百敵砲など多くを発明したが特に鋳造と仕上は抜群であった。中でも雷●(工の下に水)(ライコウ)の発明は日本で初めてであり、火縄を使わない雷●撃発式の雷管銃(生火銃)の発明は世界でも画期的なものであった。
天保十二年(一八四一)五月七日馬場にて死亡、六十二歳
現在、坂井神社に藩主松平頼怒(ヨリヒロ)公とともに神として祀られている。]]>
88-1●義経の大阪越
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2012-06-18T10:46:28+09:00
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88-1
87-88●弥勒池の由来
http://mitizoi.exblog.jp/17667583/
2012-06-18T10:45:00+09:00
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87-88
(さぬき市大川町)
弥勒とは未来に出現し、釈迦の救いに洩れた衆生を救うという未来仏である。
昔、この池を築く時、弥勒仏(臼石粉、擬灰石)が出土した。これを手厚く●(示すへんに司)り、築提したところ工事は順調に進んだという。
出土した弥勒仏は、仏教禁制の迫害から逃れ、景勝の弥勒台地に隠匿していたものと伝えられ、地元の人々は、●(竹かんむりに馬)く信仰し、今もこれを●(示すへんに司)る。茶臼山の弥勒庵には、香華の絶え間がない。
築造の年は明らかではないが、宝歴五年(1755)の溜池調査では奥上池となっていて、水掛高は、三十七石であったが、有馬●滋の努力によって、文政八年(1825)の砕石からの掛井工事、天保三年(1832)からの拡大修築工事が完成した。おそらくこの時より、弥勒池と改称されたように思われる。
この後、軒原庄蔵による弥勒隧道の石功があり現在貯水量三十七万一千トンで七十四ヘクタールの水田を潤す町内最大の貯水池となっている。
また、三ッ石岩に棲む大蛇が夜毎に谷を渡り、現在のみろく荘の東側通称「蛇の穴」に出没したという伝説がある。
みろく自然公園
大川町
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87-88●弥勒石穴(隧道)
http://mitizoi.exblog.jp/17667579/
2012-06-18T10:43:04+09:00
2012-06-18T10:43:02+09:00
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87-88
(さぬき市大川町)
文政12年(1828)に完成した弥勒大掛井は、その後漏水が甚だしく、農民は「器あれど盛るに水はなし」の悲嘆をくり返していた。
この惨状を見かねた庄屋軒原庄蔵は、田面の砕石谷より山底の岩盤を堀り抜き、石穴を作り導水する以外に方策なしとみて、その工事を藩に申請、安政二年(1855)ようやく許可をとりつけ、東西双方より昼夜兼業で堀り進めた。しかし、当時のこととてのみとげんのう、燈明にたよる工事は、言語に絶するものがあった。
庄蔵の卓越した技術と努力の甲斐あって、着工後三年目の安政四年十一月、百五間(189米)の石穴は見事貫通した。この偉業により、多くの田畑を干ばつより救済することができた。
みろく自然公園
大川町
文化庁登録有形文化財]]>
75-76●金毘羅大権現松尾寺略縁起
http://mitizoi.exblog.jp/17667573/
2012-06-18T10:41:58+09:00
2012-06-18T10:41:56+09:00
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75-76
(香川県琴平町)
金毘羅はインドより飛来した神様です。梵語でクンビーラといい、ヒンズー教の河川を司る女神・ガンガー(ガンジス河を神格化したもの)の乗物であったワニが神格化(仏教の守護神)されたもので、お釈迦さまが王舎城で説法なさるとき、常に守護したとされています。仏教にとりいれられてからは、薬師十二将の随一、金毘羅大将となりましたが、ワニの姿をもち、龍王、海王とよばれて、祈雨や海難よけの神とされていました。
時に大宝年間(701-704)、松尾寺の開祖・神変大菩薩が裏山に登って祈念していたところ、岩窟振動し、中から『我は天竺ゾウズ山に住み、常に仏法を守護したりし金毘羅神なり、汝、この山を開きて仏法を弘むべし、我もまた守護せん』とのお告げがあり、山を象頭山と名付け、金毘羅神を松尾寺の守護神としました。一千三百余年のことです。
以後、その霊験あらたかなることが天下に広まり、天平宝字(762)、孝謙帝は小納言藤原実朝勅使として遣わし、殿堂を建立されました。空海が渡唐に際し、海上安全を祈り、風波の難を逃れたことから、帰朝後、真言宗の道場と定められ、歴代天皇の御崇敬も深くなりました。
江戸時代に入り、本地垂迹説の影響を受けて、金毘羅大権現と称するようになりましたが、讃岐の“こんぴらさん”として、遠近諸国民衆の信仰はますます深くなったのです。
ところが、明治維新を迎え、松尾寺は一山六ヶ院にて金毘羅大権現の祭を司ってきたにもかかわらず、神仏分離の際に排仏毀釈の悲運に遭遇したのです。金毘羅をい金刀比羅と改称、大権現をオオモノヌシノミコトとして官弊社とする暴挙に、六院中五院が排され、仏像仏具ことごとく焼き払われ中、一千二百余年の伝灯を消滅するに忍びず、現在の地に移り、御身体の金毘羅大権現、御本尊の釈迦如来をはじめ一山諸霊像を奉安し、法灯を継承して今日に至っています。
(松尾寺発行平成二十三年辛卯年寶歴より)]]>
60-61●丁度よい 極楽寺
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2012-06-18T10:40:51+09:00
2012-06-18T10:40:49+09:00
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60-61
お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ
良くもない お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと 極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる必要もなく 卑下する必要もない
上もなければ下もない 死ぬ日さえ丁度よい
お大師様と二人づれの人生
丁度よくないはずがない
全て仏様 お大師様のおまかせ
有難や 有難や
南無大師遍照金剛
石鎚山真言宗 総本山極楽寺
(正御影供法要並びに副住職入山記念行事パンフ掲載)]]>
60-61●銀納義民記念碑文の説明
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2012-06-18T10:39:08+09:00
2012-06-18T10:39:06+09:00
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60-61
(西条市大久保 極楽寺境内)
『堅忍不跋の心を以て為すときは事成らずと云うことなし。そもそも大保木山、中奥山、東の川山、西の川山、黒瀬山の五ヶ山農民の年貢米、未納未進となり住民の至難なるより、慶長八年身を犠牲に供し、銀納受所に祈願せんと衆議一決し、五十有年間何回となく嘆願するも聞き届けなく、遂に時の領主一柳監物殿に請願中、大保木山庄屋左衛門、中奥山治兵衛その倅三名外百姓十一名、承応二年八月入獄され遂に三年二月一八日死刑に処せられ非命の死を遂げしは、悲嘆の極みあらずや。然るに平左衛門はその後、横峰蔵王権現に祈願し感応により死刑を免れ生存せしを以て萬治元年二月外十名と供に総代となり、西条鴨川に於いて駕訴せしに聞届けられ同四月八日銀五貫三百五十八勺三分一厘に定められ、明治八年に及ぶまで二百十八年間当地の人民鼓腹の楽をなせしも、銀納を訴えた義民右十七名の功勤に因るもの。感嘆の余を以て其の万分の一の報恩の為、碑を建て略誌する事斯くの如し』
明治二十三年五月
大保木村 工藤弥五郎]]>
45-45●お蔭様で」と感じることがありますか
http://mitizoi.exblog.jp/17667542/
2012-06-18T10:32:00+09:00
2012-06-20T19:44:04+09:00
2012-06-18T10:32:54+09:00
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45-46
45-45●お蔭様でと感じることがありますか 2012年[岩屋寺納経所]
[45番岩屋寺納経所で配布の文書] お詣り御苦労さまです
あなたは、「お蔭様で」と感じることがありますか?
○ほんの一分間でも顔を水につけていると、日頃の呼吸の大切さがわかります。断水すると、たちまちうろたえます。停電になると、家中にあらゆる不都合が起こってきます。
○わたくしたちの日常生活は、一瞬の休みもなく、大自然や、家族は勿論のこと、顔の見えない沢山の人々の働きの力に支えられて、生かされています。
○自分自身が生きてゆくことも、どこかで、他人様の役に立ち感謝されていると実感できれば嬉しいですね。
○弘法大師(空海、八三五、六二寂)は、父母、為政者、生きとし生けるもの、仏教の四つの恩に報いるよう努めることが、生きることである、と再三説いておられます。
○「お納経」の揮毫・朱印は、美術作品や趣味のスタンプ収集ではありません。お詣り下さったあなたご自身が心をこめて御本尊に納められたお経を、確かにお取り次ぎさせていただきます、との住職の受け取り証印です。
平成廿四年一月 四国四十五番海岸山岩屋寺
[2012年 四国遍路みちぞい物語]]]>
45-45●あなたの楽しみは何ですか?
http://mitizoi.exblog.jp/17667529/
2012-06-18T10:28:33+09:00
2012-06-18T10:28:34+09:00
2012-06-18T10:28:34+09:00
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45-46
[45番岩屋寺納経所で配布の文書]
お詣り御苦労さまです。
あなたの楽しみは何ですか?
○楽しくなければ生きている意味がない、と言えるのではないですか。
○楽しければ自ずと心が明るく軽くなり、それはそのまま顔の表情にも表われます。出会った人にも自然とそんな気持ちが伝わってゆきます。
○その気になれば、楽しみはどんなところにも見つけられます。小さな楽しみをかき集めれば、大きな喜びを味わうこともできるかも知れません。
○ものの受けとり方・考え方によって、苦しみが楽しみとなることもあります。
○弘法大師(八三五、六二才寂)は、「同じ水を飲んでも、蛇であれば毒になり、牛であれば乳になる」と言われています。
○つらく受けとったものを誰もが喜ぶものに替えて返せたら最高ですね。
○「お納経」の揮毫・朱印は、美術作品や趣味のスタンプ収集ではありません。お詣り下さったあなたご自身が心をこめて御本尊に納められたお経を、確かにお取り次ぎさせていただきます、との住職の受け取り証印です。
平成廿三年一月 四国四十五番海岸山岩屋寺
[2011年 四国遍路みちぞい物語]]]>
43-44●お釈迦さま最後のおしえ
http://mitizoi.exblog.jp/17667524/
2012-06-18T10:26:29+09:00
2012-06-18T10:26:30+09:00
2012-06-18T10:26:30+09:00
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43-44
(愛媛県内子町)
今から約2500年前インド・カピラ王国に生まれたお釈迦さまは、富も位もあり、美しい妃と子供もありながら、全てを捨てて出家されました。その時、お歳は29才といわれています。その後6年の苦行・修行の後、悟りを開かれたのは35才でした。以来45年の間各地を仏教を伝えられました。80才の2月15日、病の床につかれ亡くなられましたが、その時大勢のお弟子さんを前にして次のように語られました。
「私が亡くなった後は、次に云う八つの戒めを自分の師と考え、それを守り精進しなさい。それを守る事によって心安らかな日を送ることができるのだよ」とおしえられました。
一、少欲…人間誰でも「欲望」というものを持っているが、その「欲」に限度をもちそれを制限する事が必要です。たとえば美味しそうだからと云って腹一パイ食べたら苦しむのは自分なのです。腹八分、いや七分目におさえる事、それが少欲です。これは全ての事に対していえる事です。
二、知足…「これで良し」と知る事、認める事そして実行すること。余分なものは足りない所にまわしてあげましょう。「共に生きる」ことが大事なのです。わけあう事が心豊かな人なのです。
三、遠離オンリ…騒がしい処を離れて、静かな処に住む事により、独り自らをみつめる事が大事です。喧噪の地より遠く離れること。パチンコ屋で物事を深く考える事は出来ません。
四、精進ショウジン…休むことなく続ける事が大事です。少水の常に流れる事により硬い石にでも穴をあける事ができるのです。毎日怠りなく続ければ成就するものです。
五、正念ショウネン…安らぎの心を得るには、良い先生、頼りになる先輩友人をもつ事です。その為には常に利害損得を考えない、純粋な気持で対する事が大事なのです。
六、定ジョウ…心を一つに集中する事。坐禅、念仏、唱題など、そのものになりきる事です。これを三昧といいます。澄みきった、濁りのない所に住むことができます。意馬心猿では何も成就できません。
七、智慧チエ…聞・思・修。つまり、耳に聞き、心に思い、身に修すること、実行することによって智慧が身につくのです。思慮のない行為は自分を苦しめるのです。
八、不戯論フケロン…心が乱れるような無意味な議論は、智慧の光をくらくする為にやめるべきです。喋りおわった後の虚しさはどこからくるのでしょうか。反省すべきでしょう。
生まれて死ぬ一度の人生、貧しくとも、豊かでも、短い人生でも、長生きの人生でも問題はどう生きるかなのです。心安らかに生きる事が一番私達の幸せなのです。父と母の因縁が熟して、この世に生を享け、数限りない先人達の智慧を受け、そして生命を永らえる為におおくの生きていた動物、植物の命をいただき、太陽を始めとする天地万物の恵みを受けて、今(この時間)、此処(この場所)に立つ私は宇宙で一人。何と尊いことでしょう。
この尊い存在の私と、同じように又、他の人も尊い存在なのです。
そうわかった時、どう生きるのか答えが貴方の胸にでてくる筈です。
(愛媛内子町 護国山高昌寺 うちこのねはんさん より)
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36-37●四国八十八箇所野宿遍路の心構え
http://mitizoi.exblog.jp/17667516/
2012-06-18T10:24:44+09:00
2012-06-18T10:24:45+09:00
2012-06-18T10:24:45+09:00
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36-37
◎ごみを落さない、また野宿した時は後片付をする。
◎規律ある厳正な行動をする。
心の置所 長く歩いていると疲れてきて人間の本性が出てくる。
ここが修行の半ば途中で、色々のお接待やお世話になった事を感謝して歩く。
無財の七施の教えである眼施(優しい眼差しを向ける)、言施(温かくおもいやりの言葉をかける)、心施(思いやりの心を持つ)、といった事を身につけて、雨が降ってつらいとか、風が吹いてつらいと心が迷うようでは修行ではない。しっかり頑張ていく。
雨は農作物を作ってくれる。水は乾いた喉を潤してくれる。有難いことを手を合わせて感謝する。
一滴の水にも天地の恵みがある。雨が降れば手を合わせて、ただひたすら惑う心を捨てて前に進む。
しかし、無理や無謀はいけない。これは修行ではない。正しい修行は自分で自分を苛めて苦しみに耐える事であると思う。
無謀をして怪我をしてもいけない、無理して生命に危険が及んでもいけない。
このような時は思い切って途中で止める。無理や無謀は修行ではない。
このようなことをよく知って歩くことが肝要だ。このことは誰も分からない。自分自身が分かることで、一歩一歩前進して何かを身につけていく。必ず身につくものと信じていく。
ふと道端の草花を見ると、一輪の花は誰も水や肥料をやらない。手入れもなにもしていない。
しかし、時期がくれば一生懸命に大きく成長し、誰も見ていなくても、きれいな花を咲かせ、時期がくれば散っていく。
では我々人間はどうであろう。人が見ていると正しい事をする。見ていなければ悪い事をしてしまう。こんな事ではいけない。このような事を悟りながら一番札所を目指す。
一番を打ったら「逆打ち」であり、大窪寺にお礼参りに行く。人生は色々な事があるが難関は自分自身が打ち砕く。
*苛(イジ)めて]]>
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