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43-44●史跡 龍王城址●[龍王公園]
この龍王台地からは、多くの石器、土器が出土するので、早くから開発されていたと考えられる。 一、この台地に、越智(後の河野)喜多守が平安初期初めて砦を築き、七代目の益射に至る間、居城していたとの伝承がある。 一、室町時代には、久保因幡守源高実が居城し、五十崎十一村の地頭職として、この地方を治めていたという。 一、天正の初めには、城戸直宗が居城したが、曽根宣高が土佐の長曽我部の援助をうけてこれを攻略した。そこで直宗は、河野氏援兵によってこの城を奪還したるも天正五年(一五七七)七月十四日夜再び宣高の猛攻を受け落城した。宣高は客将の河内駿河守吉行を城代として、この地を統治させた。 一、天正十三年(一五八五)に豊臣秀吉の四国征伐にあい曽根城主の宣高は、征討軍の小早川隆景に降伏したので龍王城もついに廃城となった。 五十崎町教育委員会 昭和十七年六月に詩人野口雨情がこの地を訪れ 心して吹け 朝風夜風 ここは龍王 城の跡 の詩を書き残した。 この詩は現在龍王老人休養ホーム(龍王荘)のロービーに掲示されている。
by mitizoi
| 2011-01-27 21:12
| 43-44
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