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23-24●白小石の六部塚●[野根 明徳寺 前墓地]
1、六部塚とお堂 野根の白小石に「六部塚」があり『奉真読大般若経理趣分、宝暦十辰稔十一月十二日、武州深川、本源大通』と刻まれています。この塚は、宝暦十年(西暦1760)武州深川(武蔵国・現在の東京深川付近)の本源大通という六部さん(六十六部とも呼ばれ日本中の霊場を廻りながら修行をする廻国行者。なお永徳寺の大通和尚は安政年間の人なので、この六部とは同名異人)の墓です。この塚を納めたお堂が「六部堂」。お堂を取り囲む低い石垣は、蓮華を型どっており「弘法の投げ築き」または「清正の投げ築き」と呼ばれる特殊な石組みで、無造作に積んだように見えるが、二百余年の風雪にも崩れていません。 お堂の横に角田申松(さるまつ)氏寄進の詠歌の石碑『ごえいか なみの音 松乃ひびきも みな人の いのりのこえと きくぞうれしき 昭和三十二年三月 角田申松 上』。百度石『権小講義一丹誠盛』。それに霊験あらたから手洗石。 この六部塚は寛政十二年(西暦1800)の「四国遍礼名所図絵」にも『松原行き土橋有り。小坂松原行く。八幡宮、松原中程右手に観音寺、松原に有り。人々此墓へ願望をかくれば成就すといい、日々参詣絶えず』と紹介されています。 2、玉川家と六部さんのご利益 宝暦十年(西暦1760)野根浦に一人の六部さんがきて病気になりました。この時に看病したのが玉川家の先祖でした。手当の甲斐なく息をひきとる間際に六部さんは「いろいろお世話になりました。恩返しに私の法力を授けましょう。今後、私を祭って下さるかぎり、この家は代々、手の職で成り立つでしょう。」と遺言を残したそうです。その遺言どうり玉川家は代々手先の器用さで職を得てきています。また、玉川家以外の人でも、いろいろなご利益が授かります。特に眼の病気やイボなどは、コップに水を入れてお供えして、その水が霊薬になると言われています。手洗石の水も同じ効き目です。ご詠歌の石碑を寄進した。角田申松さんも熱心な信奉者。非常に腕のよい大工さんで、健康に恵まれ長生きして大往生をとげました。 3、三浦さんの六部堂再建 玉川家の縁者が次々と転出し、角田さんなど信奉者も他界。祭る人がなくなりお堂も次第に朽ち果ててしまいました。ただ椿の老樹だけが毎年まっかな花を咲かせ、枝葉の下にひっそりと六部塚を守ってきました。昭和五十九年の事です。近くに住む三浦福美さんはこの惨状を憂い私費を投じてお堂を再建。明徳寺の和尚さんに読経してもらい、やっと昔のお堂らしく復元。そのご利益か、三十歳すぎても縁遠かった息子さんに幸せな結婚が実現。三浦さん自身も幼少からの腎臓病が軽症に。また、失明寸前と言われた眼病も快復。長年の郵便配達で出来た足裏のウオノメも、お供えしたコップの水をつけているうちに全快。この話しがひろがって最近は、おまいりにくる人もふえました。イボやメボやハレモノに効くという霊水は、不治の病のガンに効くかもしれません。 [2010年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2011-01-27 14:36
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