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10-10●杖無し橋●[10番切幡寺入口]
大阪市東区玉堀町姓不詳シス女(二十五)は大正九年流産して以来心臓脚気に罹り赤十字病院に入院療養を加えたが歩行困難になるその内父も死亡し孤独となったので大阪府東成郡中元町松永節三郎妻ヒサノから四国巡拝に同行を勧められ、すべての厄介を見てやるからと言われたので、ヒサノの二子と同行四人で大正十一年三月二十六日撫養(鳴門市)に上陸し二番札所まで両杖を脇に挟んで辿りついたが足は愈々痛み杖に縋るのさえ苦痛に耐え兼ね、是では到底三百里の四国地を巡ることは出来ぬといって、今帰国しても誰も便るべきもないので自殺の覚悟まで定めたが、それでは同行者に迷惑をかけると思い出し、只々弘法大師の加護にすがり行ける処まで行こうかと、四月四日第十番切幡寺山下境内まで着くと心急に清々しくなり俄に杖無くして歩めるようになり勇み立って山上の本堂に参拝するや同行の者はこの感激に聲を挙げて泣き喜んだ。此時、住職大平智城師は本尊の前に観法し、将に護摩供の修行に移ろうとした時なので、此の事を聞いて直ちに一行を道場に入れ、護摩供の加持に逢わしめた。この利益を受けた石橋は信仰生活の上に一大記念すべきものとして、住職は之を「杖無し橋」と命名した。 大正十一年四月八日(土)徳島毎日新聞(現徳島新聞社)掲載記事より [2010年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2011-01-08 13:48
| 10-11
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