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43-44●肱望亭KOUBOUTEI 建設省大洲第2水位観測所●[国道56線 肱川橋袂]
肱川は 東宇和郡宇和町正信(標高460m)を源とし途中、黒瀬川・舟戸川・河辺川・小田川・矢落川など475の支川(全国で第5位)を合わせつつ伊予灘に注いでいる愛媛県下で最大の一級河川です(全国一級河川数は109水系)。 肱川の本川延長は103km(全国で第48位)流域面積は1210kmで愛媛県の面積の約20%に当たり、1市11町2村にまたがりそのうち約90%が山地です。 肱川は古くから洪水が多く、大洲藩主加藤家の記録によると元禄元年(1688年)の洪水を初めとして明治に入るまで約80回、更に明治以降現在(昭和63年)までに90回にのぼる洪水が記録され、藩政時代には築堤や「なげ」(水制工)などが造られその「なげ」は現在もその姿をとどめています。 以後昭和19年から建設省としてはダムや築堤などの治水・利水施設更には環境整備等を進めてきましたが、まだまだ十分ではなくいつ自然の猛威に見舞われるかわかりません。 この水位観測所は、特に肱川の洪水をより早く正確に観測し、こうした自然の猛威から私たちを守るための重要な観測所となっています。又この観測所は「枡形緑の親水護岸」に合わせて景観と地域の人々に心よく親しんでいただけるよう造られたものです。 平成元年3月 建設省四国地方建設局 大洲工事事務所 「肱川」の由来は肱を曲げたように曲流れているのでこの名がついたといわれ、また比志城(大洲城)築城の人柱となった「おひじ」という乙女の名をとったという伝説もあります。[2010年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2010-08-16 22:20
| 43-44
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