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40-41●除災招福大観音之由来●[番外6番龍光院境内墓地 宇和島]
今は昔、元和元年(1615)、初代藩主伊達秀宗公御入部の□、宇和島城の鬼門の鎮として伊達藩安泰の為に龍光院を建立せられ、藩と領民の守護繁栄を願う、祈願寺と定められたと記録に伝えている。これは京都の御所を守護する為、鬼門の方位、比叡山延暦寺が、建立されたのと同意である。 然るに、時は移り、今日の混迷せる世情に鑑み「夫れ徳を樹て福徳を招くに佛像を建立するに越えるたるは無し」と佛典に説かれる如く、樹徳招福の功徳を来るべき21世紀への勝計となさんが為に、この地に大観音像を建立せんと佛教真言密教の伝播のルートに因んで中華人民共和国より遙々海を渡り勧請したものである。 此の除災招福大観音像の奉安により、宇和島、四国はもとより、日本国一円に大慈大悲の大光明が隅無く注がれ、地域の平安と人々の守護と繁栄をもたらし、此の霊場が恒久平和の象徴(シンボル)とならんことを期するものである。 平成二年(1990)5月吉日 [2009年 四国遍路みちぞい物語]
by mitizoi
| 2010-03-25 16:27
| 40-41
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