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新規投稿をすっとしていないので消滅の可能性があります。
別のブログもあるし、手が回りません、誰か引き取ってくれませんか。 #
by mitizoi
| 2020-03-21 22:07
追加目次2
5-5●五百羅漢 第5番地蔵寺奥之院 22-23●法院の由来 23-24●御厨人窟ミクロドウ 27-28●震洋とは 36-37●高岡神社(五社)由来記 36-37●四国八十八箇所野宿遍路の心構え 43-44●お釈迦さま最後のおしえ 45-45●あなたの楽しみは何ですか? 45-45●お蔭様で」と感じることがありますか 60-61●銀納義民記念碑文の説明 60-61●丁度よい 極楽寺 75-76●金毘羅大権現松尾寺略縁起 87-88●弥勒石穴(隧道) 87-88●弥勒池の由来 88-1●義経の大阪越 88-1●久米栄左衛門通賢略伝 88-1●森権平愛馬の墓 その他●黒瀧寺 曼荼羅霊場 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:58
| 目次
黒瀧寺
山岳仏教発祥の地、心洗う静寂の聖地 標高700m余りの黒瀧山の山頂にあり、老松古杉に囲まれた黒瀧寺は、四国霊場二十一番霊場奥の院であり、古くから山岳仏教の修験者の道場として知られている。 三方を絶壁に囲まれ、そこには「三滝・七淵・五剣山」からなる厳しい行場がある。弘法大師が山頂に棲む太龍を封じ込めた竜王淵からは今日も絶え間なく龍が霊水(赤井水)を吹き上げている。 元禄時代、快弁上人が寺の最興を祈って始めた黒瀧まつりが毎年八月十七日に催され、この夜柴燈大護摩や黒瀧寺踊りが夜更けまで続けられる。 厳かにそして華やかに繰り広げられる黒瀧まつり 山岳仏教の発祥の地・黒瀧寺は、戦国時代長曽我部元親の兵火に会い焼失しました。その後、元禄時代快弁上人により再建されました。以来毎年八月十七日の夜柴燈大護摩が焚かれ、再建を祝う黒瀧寺踊りや打ち上げ花火が盛大に行われます。 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:55
88-1●森権平愛馬の墓
(東かがわ市白鳥町) 白鳥町指定史跡 昭和五十五年二月二十六日指定 この墓は、森権平の愛馬の紅○鴾毛の墓である。 天正十二年(1584)7月十九日、このあたりで土佐の長宗我部元親と仙石秀久が戦ったとき、仙石の武将森権平はよく戦い数々の戦功を立てたが、愛馬の脚が深く深田に踏み込み、進退の自由を失い敵に討ち取られた。馬も共に傷つき倒れたので人々は愛馬を哀れみ、この地に葬って墓を建てたものである。 白鳥町教育委員会 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:49
| 88-1
88-1●久米栄左衛門通賢略伝
(東かがわ引田馬宿) 江戸時代後期の軍事技術者、土木家で引田町馬宿に生まれる。 船頭喜兵衛の子で大阪の間(ハザマ)重冨に師事して天文暦学、測量、数理を学び若くして海防の重要性を唱え二十七歳のとき藩命により最初の讃岐地図をつくる。 招かれ高松藩士となり身を挺して建白書を出し軍事のほか坂出塩田開発砂糖製造保護別子銅山の改修など藩の財政改革に功があった。輪●(隧ののぎへんを火に)●(リンスイハイ)銃、鎗間銃(ソウカンジュウ)百敵砲など多くを発明したが特に鋳造と仕上は抜群であった。中でも雷●(工の下に水)(ライコウ)の発明は日本で初めてであり、火縄を使わない雷●撃発式の雷管銃(生火銃)の発明は世界でも画期的なものであった。 天保十二年(一八四一)五月七日馬場にて死亡、六十二歳 現在、坂井神社に藩主松平頼怒(ヨリヒロ)公とともに神として祀られている。 #
by mitizoi
| 2012-06-18 10:48
| 88-1
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